Tasu*Tum

1. 何か頼む時は「お願いします」
2. 何かもらったら「ありがとう」
3. よほど大事な用でない限り大人の会話を邪魔しない。
4. 会話に割って入る時は一言謝る。
5. よく分からないことは勝手にやらず大人に聞く。
6. あれが嫌だこれが嫌だと言わない。
7. 誉め言葉以外に他人の外見についてコメントしない。
8. 元気?と訊かれたら、答えた後に相手にも訊き返す。
9. 友達の家に遊びに行ったら、その子の親にお礼を言う。
10. ドアを開ける前にノックする。
11. 電話をかけたらまず名乗る。
12. 感謝の気持ちを忘れない。できればメールより手書きの感謝状を。
13. 乱暴な言葉遣いをしない。
14. 人の悪口を言わない。
15. いかなる理由でも人をバカにしない。
16. 劇や人の話がつまらなくても興味のあるフリをし、静かにする。
17. 人にぶつかったらすぐに謝る。
18. 咳・くしゃみをする時は口に手をあて、人前で鼻をほじらない。
19. 自分がドアを開けた時に他の人が通ろうとしたら、手をドアに置いて閉まらないようにする。
20. 親や先生、近所の人の手伝いを進んでやる。
21. 頼みごとは快く引き受ける。
22. 手伝ってもらったらきちんとお礼を言う。
23. 食事のマナーは大人に聞いたり真似をしたりして、ナイフやフォークを正しく使う。
24. 食事の際は膝の上にナプキンを乗せ、口元が汚れたらぬぐう。
25. 食卓などで遠くにあるものには手を伸ばさず、取ってもらうよう頼む。”

9歳までに身に付けさせるべき25のマナー – ロケットニュース24(β)

これJr.の見えるところに貼っとこ

(via mnky)

「身につけさせる」とかあほか。お前がそうすれば子供はまねするよ。

(via miniatures)

コメントが逸品です!!御意

(via hirotamaki)

2011-05-22

(via quote-over100notes-jp)

(via mcsgsym)

今日ではアフォーダンスという語の用法が混乱しており、主に二つの異なる意味合いで用いられている。以下にその詳細について記す。

本来のアフォーダンス
ギブソンの提唱した本来の意味でのアフォーダンスとは「動物と物の間に存在する行為についての関係性そのもの」である。例えば引き手のついたタンスについて語るのであれば、「”私”はそのタンスについて引いて開けるという行為が可能である」、この可能性が存在するという関係を「このタンスと私には引いて開けるというアフォーダンスが存在する」あるいは「このタンスが引いて開けるという行為をアフォードする」と表現するのである。要点は行為の可能性そのものであるため、そのタンスが引いて開けられるのだと示すインターフェイスを持つか否か、ひいては”私”自身がそのタンスを引いて開けることが可能だと認識しているか否かは全く関係ない。タンスに取り付けられているのが「引き手に見えない、あるいは引き手として使用できそうもない引き手」であっても、”私”に引いて開ける事が可能ならば、その両者の間にアフォーダンスは存在するのである。

ノーマンの誤用
しかし近年、特にデザイン領域においては、前項で紹介されているように「人と物との関係性(本来の意味でのアフォーダンス)をユーザに伝達する事」平たく言えば「人をある行為に誘導するためのヒントを示す事」というような意味で使用される事がかなり多い。「わかりやすい引き手を取り付けることで、タンスが引いて開けるという動作をより強くアフォードする」等というニュアンスの記述もしばしば見られる。これらはギブソンの本来の意図からすれば全くの誤りである。この誤用を結果的に世に広めてしまったドナルド・ノーマン自身も後年にそれを認めており、「自分の著書において使用されているアフォーダンスという語については、本来のアフォーダンス(Real affordance)ではなく、知覚されたアフォーダンス(Perceived Affordance)と読むべきである」という旨のコメントをしている。

現状では特に注釈なくこれら二つが入り交じって使用されている(むしろノーマンによる誤用がより広く浸透している傾向がある)ため、十分な注意が必要である。

アフォーダンス - Wikipedia (via cbcnet)

おどらにゃそんそん

(via petapeta)

(via yaruo)

あえて遠回りな問いを立てることで、より近い回答を得るやりかたについて。

たとえば「素人が3分間で朝青龍に勝てるやりかたを教えてください」なんて、格闘家の人にインタビューを行ったところで、たぶんたいした返事はもらえない。

それはそもそもが無理な問いだから、「無理」だとか「逃げろ」なんて返事ならまだいいほうで、「死んだ気で戦え」だとか、「素人でも余裕です」だとか、どうせ冗談にしか聞こえない、こんな問いには、いいかげんな答えしか返ってこない。

ところが「もしもあなたの息子さんが、今から3分後に朝青龍と戦わなくてはならなくなったら、あなたは3分間で何を伝えますか?」という質問を、いろんな格闘家に答えてもらったら、もう少し面白い返事がもらえるのだと思う。

「もしも」の状況に陥った息子さんに対して、たとえば格闘家としての自分のありかたを説く人もいるだろうし、とことん逃げるやりかた、「勝ち」というものの意味を教える人もいるかもしれない。あるいはそれでも、「戦うこと」にこだわって、拳の握りかただとか、有効な蹴りかたみたいな、3分という、ごくごく限られた時間であってもあえて伝えたい何かを、教えようとするかもしれない。あえて「もしも」を挟むことで、問題と、回答者との距離は遠のくけれど、思考の幅は広がって、役に立つ答えをもらえる可能性は、かえって高まるような気がする。

「もしも」の運用 (via usaginobike, yellowblog) (via miso0nok) (via chihanos) (via shima-ken) (via fujihajime) (via hepton-rk) (via tra249) (via exposition) (via hkdmz) (via kazcorp) (via hsmt) (via appbank) (via snamn) (via asianplastic) (via gosuke) (via yaruo)

あなたの子供に、って本質を引き出すキーワードだよなあと思う。「あなたはどう思いますか?」だとポーズが出がちだけど

(via kossetu) (via mmqqbb) (via tiga) (via bo-rude) (via petapeta) (via yoshinani) (via wideangle) (via matakimika)

2011-06-25

(via quote-over100notes-jp) (via mcsgsym)
newsweek:

Michael Fassbender, star of Shame, talks about sex and reveals that he did actually pee on camera for that infamous scene. 

newsweek:

Michael Fassbender, star of Shame, talks about sex and reveals that he did actually pee on camera for that infamous scene

その先生が五年生の担任になった時、
一人、服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。
中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。

ある時、少年の一年生からの記録が目に留まった。
「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。 勉強もよくでき、将来が楽しみ」
とある。間違いだ。他の子の記録に違いない。先生はそう思った。

二年生になると、 「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」
と書かれていた。

三年生では
「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りする」

後半の記録には
「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」
とあり、四年生になると
「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」

先生の胸に激しい痛みが走った。ダメと決めつけていた子が突然、
深い悲しみを生き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。
先生にとって目を開かれた瞬間であった。

放課後、先生は少年に声をかけた。

「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?
 分からないところは教えてあげるから」

少年は初めて笑顔を見せた。

それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。
授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。
少年は自信を持ち始めていた。

クリスマスの午後だった。少年が小さな包みを先生の胸に押しつけてきた。
あとで開けてみると、香水の瓶だった。
亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。
先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。
雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、
先生の胸に顔を埋めて叫んだ。

「ああ、お母さんの匂い! きょうはすてきなクリスマスだ」

六年生では先生は少年の担任ではなくなった。
卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。
「先生は僕のお母さんのようです。
そして、いままで出会った中で一番すばらしい先生でした」

それから六年。またカードが届いた。

「明日は高校の卒業式です。僕は五年生で先生に担当してもらって、
 とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます」

十年を経て、またカードがきた。
そこには先生と出会えたことへの感謝と父親に叩かれた体験があるから
患者の痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。

「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。
 あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、
 神様のように感じます。
 大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、
 五年生の時に担任してくださった先生です」

そして一年。届いたカードは結婚式の招待状だった。

「母の席に座ってください」

と一行、書き添えられていた。

縁を生かす - 致知出版社 公式サイト (via drhaniwa)

(via appbank)

“僕の好きな言葉に、優れたドアノブは押せばいいか引けばいいかがすぐにわかる、があります。優れたモノは無言語なんです。説明が必要なサービスはレベルが低い。”
クックパッドを作り上げた佐野陽光の事業哲学と技術論/Tech総研 (via kasahi)

(via mcsgsym)